ステキシフトby石川ジン平

真面目系クズ、ブラック企業、読書記事、考え方について書いています。

自己存在否定と罪悪感

物心ついたときからずっとコンプレックスが消えなくて、なんのコンプレックスが消えないかというと、「自分がいては悪い気がする」「いない方がうまく回る気がする」「他者にとにかく迷惑をかけている気がする」という、自己存在否定なのである。

 

別に小中学校の成績は良かったし、高校だって一年ぐらいのときはわりと上位にいて、親からもわりとべた褒めされる環境で育ってきたのにも関わらず、自己否定や罪悪についての感情が強い。強いて言えば大学だって地域的にはほめられる大学だ。世間一般ではそうでもないが。

 

しかし、だいたい立ち止まると自己否定に溺れてそのまま沈む。走っているときでもあたまをよぎる。そして立ち止まり、溺れる。

 

自己否定自体は悪いことではないと思う。それがなければ調子に乗ってしまう。いろいろなことを考慮できなくなり、短絡的な行動になり、結果的に失敗してしまうだろう。もちろん失敗自体は悪いことではないが、失敗に対して考慮がないのは進歩がない。

 

つまり、溺れてしまうことが悪いのだ。罪悪感と自己無能感に溺れ、自己否定に沈む。
溺れているときに考えていることはわりと単純で、
①あのときの行動がまずかったから他人に拒絶されそんな自分は否定されるべきだと溺れる
②これからやることで問題を起こすだろうから、最善を探し続けみつからなくで溺れる
このどっちかだ。

これらに明確な答えで唯一解のようなものを出そうと思ってもほぼ不可能だ。
なぜなら自己否定に走っているときの自分は、「1+1=2」ということも、自分の答えだけは間違っているのではないかと自信喪失していて全く信用ならない。自分が信用ならないのであれば、他人に頼ることが一番早いが、そんな都合のいい他人があふれている訳ではない。かくして自己否定が終わらずただ時間ばかりがすぎていくのである。

 

しかし求める答えというのは画一的で具体的で明確なものとはかぎらない。もしからしたらそれは無理数かもしれないし、あるいは虚数かもしれない。そもそも収束していくという考えが誤り発散かもしれない。心理的なものはいつも条件が非常に曖昧で式すら正解か分からない。

 

「発散するから応用はできるがすぐに実用的な答えは出ない」とか「無理数だから表現を変えないと表せない」とかいっぱいあると思うんだよね。だから、答えがでないことでうだうだ悩んでいないで、ブログでも書きながら、アウトプットすれば、明確で唯一な答えはでなくても、その答えがどうゆう性質のものなのか、分かるようになって、楽しくなるんじゃないかなぁ。

 

 

なんて、楽しいということで、最近は新しいことをするように心がけている。

新しいことは多少辛くても楽しいことである。年食ってくると新しいことが減ってくるから新しいことがなくなるまで新しいことをしよう。