ステキシフトby石川ジン平

真面目系クズ、ブラック企業、読書記事、考え方について書いています。

なぜ壁を壊そうとすると壁に押しつぶされるのか

こんなブログはつまらねぇなぁと思ってブログを書いている。

           ーステキシフトー

 

何か壁に当たってしまったときはいつも、なぜだなぜだと考えている。すると、そのまま壁について考慮は進むが壁をぶちこわす方法は思いつかない。届きたいものにいつもいつも届かないなぁと思ってやっぱり届かないのである。 

しかしじゃあ、壁をぶちこわすために行動しようとすると、誰かに非難されることばかりが頭の中に浮かんできて (それは「受付の人が嫌な顔をするんだろうな」とか足したこと無いことで、でも重大に思える) そのまま動けなくなってしまうのである。それどころか、勢いが足りないからちょっとスマホでゲームでも、、、と、そのままゲームしてぎりぎりになって間に合わないとか諦めるとかなのである。

 

どうしたらいいを考えていても救いはない、と切り捨てるのも駄目で、動いているときに迷いが生じると、うじうじと考えてもこたえのでなかったことが「やりきっても答えがでなかったから頑張れる」に分類されて頑張れるようになる。

かとおもいきや、考えたことに縛られるシーンも多い。動き出して途中で「これほど考えて救いはなかったのだから何をしても駄目だ」などと動きを止め、とにかく辛くなってしまうのである。

 

さぼっているとしかいいようがない。傍目からは特にそう見えるだろう。だが本人は堂々巡りの思考を一生懸命して辛くなっているばかりにサボっていると言われると反応は二つ、頭にくるか、より辛くなるかである。馬鹿みたいだ。

 

結局は、自分の不完全さに失敗し、また悪いことをしていて責められ侵害されるという予想される未来に、立ち向かえない。

 

だけど、だから、僕は夢を見て、夢に祈る。救いがあるとしたらそれしかない。その夢は何度も僕を打ちのめした。今日だって何度もそれに打ちのめされた。だけどそれだけが僕を未来へと駆り立てる。それだけが実際のところ誰かに侵されない。他人の手出しがないことには救いを求められる。僕が夢をみることを、侵害することはできない。仮に僕の思考に割り込んでそれを妨害しても、それを観測/証明する手段は無い。夢を見て夢に祈り、夢を食べ生きることだけが、救いになりうるのである。

 

そうして、君が思いもしないような夢を、いつか食べさせてあげられたらいいなと思っている。

 

というブログを、わざわざネットカフェで深夜一時すぎに自分のパソコンを使い書いている。頭のおかしい人である。