環境が良ければ良いほど相乗効果あるから、環境は選んだ方がいいですよね。当たり前の話。ただ、環境が悪くても本を読んだりSNSで情報収集したりやり方はあるよねという話です。
環境で持ち上げられたり落ち込ませられたり
日頃思っていることを話すのが雑談。意識が高い人の話は必然的に意識の高い話題が多くなります。マーケットがどうとか、経済がどうとか。
正直言って、環境が悪いとそういう意識の高い話に時間を割けないんですよね。言うと逆に怒られるし。飲み会で一年後の収益について考えようものなら「昨日の顧客の容姿の話をしてるのに、なんで一年後の収益を語ってんだ空気読め」って感じですよ。
ところが、周りの人が意識高いと、今後の収益の上げ方とか、マーケットが変わった場合の対処方法とか、自然と話題になるんです。しかも楽しく。羨ましい。
どれだけそれに時間を費やしたかがひとつの目安
一万時間の法則という有名な話があります。曰く、その道のプロになるためには一万時間を費やす必要がある、という話です。
全面的に肯定するわけではありませんが、極端に運がいい人や優秀な人でない限り、時間をかけた方が物事の成功確率は高まります。そりゃそうです。練習をしろということです。
環境が悪いとは、自分の目指すことについて時間を割けないということです。費やす時間が短ければ短いほど、成功確率は下がります。一年に一度ボウリングする人と、一週間に一度ボウリングしてた人は、どっちが一年後スコアが伸びてますかって話です。繰り返しますが、ものごとの基本は練習するかどうかなんです。
練習の効率性を考える
練習の効率を考えたら、同じようなことにトライしている人間や、先を言っている人間とつながりを持つのが良いです。
例えば、僕は自分で本を読むのが遅く、インプットに非常に時間がかかります。更に、アウトプットする環境はブログとtwitter、数人の知人しかありません。
そこを、環境に恵まれた友人は、たくさんの経営者との話の中で、僕が一週間かけて読む本のエッセンスを一時間の対話で吸収します。僕が一ヶ月かけたtwitterの情報収集を一晩の飲みで達成します。それだけではありません、もしも友人が本を読んで気になったことは、何気ない対話の中で洗練させることができるのです。
同じ分野に興味のある人がいると、非常に効率が良くなります。
人間は効率だけで生きるものではない
でも、僕の環境はそうでなかったし、仮に僕が彼の立場だったとしても、飲みなんて積極的にいかない気もするんですよね。環境はいいにこしたことないけど、活かすも殺すも本人次第。きっと僕は殺してたでしょう。これからもどうなるか分かったもんじゃありません。だから僕は本を読みます。だから僕はブログを書きます。
たまに彼と話すと、知識量に感心してもらえることも多いです。同じ興味の分野で、自分の方が知識があり、発想でひっぱることができることも多いんです。恵まれた環境にいるはずのプログラマーの彼が、簡単にプログラミングが出来る言語MOONBlockのことを知らないとか最近ありましたし。知らないからお互いの存在に価値が生まれるということがあるでしょう。
強く目指すものがあるならば、とっとと環境を変えた方が絶対に良いです。少なくとも、悪いところは抜けて。
彼ほどの環境になってませんが、僕は変えました。最近QOLめっちゃ高いです。ただ、環境を変えなくても、本を読んだり情報収集したりして、なんとかできることもあるでしょう。環境を変える前から僕は自分の努力でなんとか彼とまともな会話ができているので、これで周りに飲まれていたら完全に救いようがなかったと思うんですよ。本を読んだりネットで情報収集したりしていて本当に良かったです。
でもね、もう間に合わないことがやっぱりたくさんあって、最初からどうしていればっていうことがたくさんあります。だから文章を書いてしまう。終わってしまった毎日に。
いつかこの日々が実を結びますように。
無駄になるかもしれなくても、それでも、と願う毎日です。
昨日の書評に関連した記事でした。
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